ごくらくじきりどおし
坂ノ下から極楽寺、七里ガ浜、
片瀬方面へ抜ける道となっており、
鎌倉・京都往還の重要な出入口でした。
極楽寺の門前まで続く坂道は
「極楽寺坂」とも呼ばれており、
極楽寺の開山忍性によって切り開かれた
と伝えられています。
当時の切通は、
今の成就院境内の高さのあたりを通る
傾斜が急な細い崖道でした。
1333年(元弘3年)新田義貞の鎌倉攻めでは、
大館宗氏を大将とする
新田勢10万人の攻撃に対して、
北条方は強固な木戸でこの切通を閉ざし、
数万の兵力によって
ここからの侵入を防ぎました。
ここを突破できなかった義貞は、
このあと稲村ガ崎から
鎌倉に攻め込むこととなります。
今では道幅が広く、
ずっと掘り下げて傾斜も緩やかになり、
車が多く通行する道になりました。