りゅうほうじ
玉縄城3代城主北条綱成が建てた瑞光院ともいわれる香華院がこの寺のはじまりで、開山は泰絮宗栄と伝えられます。山号は陽谷山といい、曹洞宗のお寺です。
1575(天正3)年に玉縄6代城主の北条氏勝が4代城主氏繁を弔うため現在の地に移し、「大応寺」を建立しました。創建以来、玉縄北条氏の菩提寺として栄え、綱成、氏繁、氏勝の位牌を伝えています。当時は七堂伽藍といわれる寺院の主な建物が並び、広い寺領を持つ立派な寺だったといわれています。
氏勝は当時、小田原北条方のすぐれた武将で、1590(天正18年)、豊臣秀吉の小田原城攻めのとき、死を覚悟して玉縄城にたてこもり、豊臣方の軍勢と対抗しました。しかし、徳川家康の命令を受けた大応寺の僧の良達などが氏勝を説得して開城させたといわれています。良達は他の僧侶との意見の違いから一時寺を出ましたが、その論争が解決した後に再び入山し、のちに氏繁の戒名により寺名を「龍宝寺」と改めました。
当時は七堂伽藍といわれる寺院の主な建物が並び、広い寺領を持つ立派な寺だったといわれていますが、小田原北条氏が滅亡するとともに衰えます。その後、江戸時代の明和年間(1764~1772年)に、建物が再建されたといいます。
山門から振り返れば、右手に玉縄城の諏訪壇があったあたりを望むことができます。
また、境内には玉縄ふるさと館(民俗資料館)、その先には国の重要文化財に指定されている旧石井家住宅があります。石井家は、小田原北条時代の地侍という武士で、江戸時代には名主を務めた家柄で、建築年代は17世紀末ごろといわれます。内部は「ひろま」の奥に「でい」、「へや」がある「三間取り」という当時の有力な農家の典型的な間取りです。外回りは、ひさしや縁がまったくなく、戸口や窓などの開口部を少なくした、神奈川県の民家の様式をよく表しています。この建物は関谷にあったものですが、ここに移築され保存されています。現在は有料で公開されています。
基本情報
拝観料/入館料
志納
※玉縄民俗資料館・旧石井家住宅:200円
花の情報
[春]ウメ・桜・シャクヤク
[夏]ノウゼンカズラ
[秋]コスモス・シオン
[冬]ツバキ
行き方
JR「大船駅」西口から藤沢駅方面行きバスで「植木谷戸」下車徒歩3分、または関谷インター行きバスで「植木谷戸」下車徒歩3分