きょうおんじ
知阿を開山として、後北条氏の三代北条氏康が光明寺境内に立てたのが始まりといわれています。現在の場所には以前、光明寺の末寺である善昌寺がありましたが廃寺となり、1678(延宝6)年、光明寺境内にあった教恩寺をここへ移築しました。
本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来像は運慶作と伝えられていますが明らかではありません(県重要文化財)。
源平合戦で敗れた平清盛の子で、東大寺焼き討ちをした重衡が捕らえられて鎌倉に連れてこられたとき、源頼朝が一族の冥福を祈るようにとこの阿弥陀如来像を重衡に与え、重衡は深く信仰したといわれています。また、重衡と千手前との悲恋の逸話が伝わる寺です。
鎌倉三十三観音霊場の第十二番札所(聖観世音)。
基本情報
見どころ
木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(県重要文化財)
山門の十六羅漢