能「通小町」シテ 高橋忍・ツレ 中村昌弘
(撮影:辻井 清一郎)
八瀬の山里で夏の修行をする僧(ワキ)のもとに女(前ツレ)がやって来ます。女は木の実を僧に捧げて木の実尽くしの歌を謡うと、小野小町の霊とほのめかし消え失せてしまいました。僧が市野原に赴き供養をすると、小町の霊(後ツレ)が現れ成仏を願います。さらに小町に恋をしていた深草少将の霊(シテ)も現れます。少将は懺悔の物語として「百夜通い」の様を再現すると、小町と共に成仏したのでした。
小野小町は平安時代初めの歌人。情熱的な恋の歌を多く残したためか、絶世の美女であった、晩年は落ちぶれた惨めな暮らしであったなど、さまざまな伝説が残ります。<通小町>では、百夜通えば思いを叶えようと言う小町のもとへ、深草少将が通い続けるも九十九夜で焦がれ死にした「百夜通い」の物語が素材になっています。この物語は平安時代の和歌の伝書に見えますが、深草少将と小町の物語ではなく、別の男女の間に起きた話として伝わっており、少将と小町の「百夜通い」の伝説としては能が最も古いと考えられています。
前半の小町は、悉達太子(出家前の釈迦)が菜摘みなどをして仙人に仕えた故事をあげて、自分が木の実を僧に捧げるのは当然であると謡います。この謡は世阿弥の音曲伝書『五音』に見え、金春流をはじめとする下掛りの流儀のみに受け継がれています。続いて、椎・柿・笹栗など、気になる果実の名前が織り込まれた、聞きどころになります。
後半は謡のリズムも様々に変化する見どころです。小町の霊は僧に戒を授けてもらい成仏しようと再び現れます。そこへ邪淫の罪で地獄に堕ちた少将の霊が、授戒を妨げようと出現。死後もなお小町へ執着する少将には、恐ろしさと同時に一抹の哀れさも感じられます。懺悔の「百夜通い」で、少将は笠と蓑で身をやつし、雪の日雨の日も通った様を見せます。この場面は少将と小町の掛け合いで進みます。
結末では、生前に叶わなかった百夜目が描かれるのが興味深いところです。笠と蓑を脱ぎ、烏帽子に美しい衣の姿になった少将は、祝いの酒を望みますが、酒を飲んではいけないという仏教の戒め「飲酒戒」を保つことを思い出し留まるのです。その一念によって、少将と小町は成仏に至るのでした。
<通小町>は、少将の一途で激しい執心が仏の「戒め」を軸に表現されています。「邪淫戒」によって地獄に堕ちた少将と小町は、「飲酒戒」を保つことで救われます。実は本曲は古名を「四位少将」といい、世阿弥の芸談書『申楽談儀』には比叡山の唱導(説法)をおこなう僧が原作を書いたとあります。「戒め」が作品の中心にあるのも、このためでしょう。この原作を金春権守が演じた記録もあり、金春流ゆかりの作品ともいえます。後に原作は世阿弥の父 観阿弥によって改作、世阿弥の手も加えられて現在の形になったとされます。<通小町>には古い歴史と複雑な成立の過程があります。
能解説:中司由起子
(法政大学能楽研究所兼任所員)
シテ:金春 安明(金春流八十世) 笛:熊本 俊太郎 後見:井上 貴覚 地謡:高橋 忍 |