鎌倉は、源頼朝によって幕府が開かれた後、急速に都市整備が進められ、まちの中心には鶴岡八幡宮、山には切通、山裾には禅宗寺院をはじめとする大寺院が造られました。
この地に活きた武士たちの歴史と哀愁を感じられる古都鎌倉は、近世には信仰と遊山の対象として脚光を浴び、近代には多くの別荘が建てられましたが、歴史的遺産と自然とが調和したまちの姿は守り伝えられてきました。
このような歴史を持つ古都鎌倉は、自然と一体となった中世以来の社寺が醸し出す雰囲気の中に、各時代の建築や土木遺構、鎌倉文士らが残した芸術文化、生業(なりわい)や行事など様々な要素が、まるでモザイク画のように組み合わされた特別なまちとなったのです。
かつては一介の村に過ぎなかった鎌倉は、幕府が置かれたため急速に日本の中心として発展し一大都市となり、その後幕府が京都へ移って以降は、農村・漁村、観光地、そして文化の町と、様々にその姿を変えてきました。
そうした歴史の中で形作られてきた、様々な背景を持つ建築や文化、芸術、遺構、行事などが、融合し調和した稀有なまちが、鎌倉なのです。