こうとくいん(かまくらだいぶつ)
【日本遺産008】
国指定史跡、国宝(彫刻)
武家政権と民衆の安寧を願ってつくられた
金銅の鋳造仏です。
つくられた当時の姿をほぼ保っているものの、
1252(建長4)年に鋳造が開始されたこと以外は
謎につつまれています。
仏像としては
鎌倉で唯一の国宝に指定されています。
重量は約121t。
高さ(座長)は11.31m、
台座も含めると13.35mあります。
『吾妻鏡』では
1238(暦仁元)年に大仏堂事始とあり、
勧進(※1)下知(※2)されていることから、
幕府の力によってつくられたと考えられます。
最初につくられたのは木造の大仏で、
1243(寛元元)年に
大仏と大仏殿が竣工しています。
10年ほど後に
金銅の大仏に造り替えられたといわれますが、
確かなことはわかっていません。
胎内に入ると高度な鋳造技術がうかがえます。
もともとは大仏を覆う
大仏殿内に安置されていましたが、
鎌倉幕府が滅びたあとに
台風や大津波により大仏殿が倒壊し、
1498(明応7)年頃には
露坐(※3)となったと考えられます。
境内のあちらこちらに残る礎石から、
大仏殿の規模が想像できます。
鎌倉大仏は大きいだけでなく、
美しいことでも知られます。
弓なりになっている鼻の線からつづくまゆげ、
水平な目、微笑をたたえた口には、
ギリシャ彫刻的要素も認められます。
大仏のところどころに金箔が残っているのを
わずかに見ることができますが、
つくられた当時は、
これが全部に施されていたといいます。
後光山の“緑の後光”を背にして、
やや前かがみに佇むその美しい姿は、
多くの文学作品の題材となってきました。
歌人の与謝野晶子は
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
美男におはす 夏木立かな
と詠みました。
その歌碑が高徳院境内にあるほか、
3基の文学碑が立っています。
※1 社寺・仏像の建立・修繕などのために金品を募ること
※2 上から下へ指図すること
※3 屋根のない所に座ること