みょうほんじ
【日本遺産027】
開基/比企能本
開山/日蓮
初代執権北条時政に滅ぼされた
比企一族の生き残りである比企能本が
1260(文応元)年に創建したと
伝えられています。
鎌倉時代、比企谷には比企能員の一族が住んでいました。
能員の娘は将軍源頼家の側室となり一幡を生みました。
1203(建仁3)年、頼家が重い病気にかかったとき
万一の場合に次の将軍を誰にするかをめぐって
頼家の弟千幡(※1)を推す人々と
一幡を推す人々で意見が対立しました。
このとき能員は頼家に訴えて
強引に政治の実権を一幡に譲らせようと動き
時政に殺されてしまいました。
そして一幡を擁して比企谷にたてこもった比企一族も
この地で滅ぼされてしまいましたが
そこから辛くも生きのびたのが
当時2歳だった比企大学三郎能本です。
能本は成人し、学者となって順徳天皇に仕えましたが
やがて許されて鎌倉に帰り日蓮上人の弟子となりました。
そして、父能員の屋敷跡に比企一族の霊を弔うためお堂を建てたのが
妙本寺の始まりといわれ日蓮に寄進(※2)したと伝えられています。
境内の祖師堂には日蓮の生前の姿をうつした三体の像の一つ
といわれる座像が安置されているほか
蛇苦止堂の蛇苦止明神は
比企の乱で悲劇の入水をした若狭の局の霊が
北条政村の娘にとりついて苦しめたのを
慰めまつったといわれています。
妙本寺は、今も日蓮宗池上派の
格式の高い寺院の一つで
かつては一人の貫首が
池上本門寺と兼務するのを例とし
両山一首と称していました。
霊宝殿には国の重要文化財である
雲盤(※3)や新釈迦堂にあった釈迦如来像、
日蓮上人関係の多数の宝物が
納められています。
また境内奥には、
仙覚(※4)が万葉集に註訓を加えたと伝えられる遺跡や
頼家の娘で4代将軍の正室となった
竹御所(※5)の館と伝えられる場所があります。
初夏のシャガ、紅葉が見事です。
事前に予約すれば、写経体験ができます。
※1:後の将軍実朝
※2:社寺に土地や財物を寄付すること
※3:時報の合図等として打ち鳴らす雲形の板
※4:鎌倉時代中期の天台宗の学問僧
※5:能員の外孫にあたる
【日蓮宗 霊跡本山 長興山 妙本寺】
国指定文化財(工芸)
鎌倉市指定文化財(建造物/彫刻/工芸)
鎌倉市指定天然記念物
・妙本寺<外部リンク>(googleマップを開く<外部リンク>)
・鎌倉selection 紹介記事「比企一族ゆかりの美しい寺院」
《主な年間行事》
・蛇苦止大明神正月大祭
・釈尊涅槃会
・季彼岸会中日法要
・花祭り(釈尊降誕会)
・千部会
・蛇苦止大明神五月大祭
・盂蘭盆大施餓鬼会
・蛇苦止大明神九月大祭
・龍口法難会特別開帳
・御会式
・秋季彼岸会中日法要
・除夜の鐘