ごくらくじ
【日本遺産029】
開基/北条重時 開山/忍性
元(モンゴル帝国)が日本に襲来したときに、
幕府・朝廷の命を受け忍性が異国退散を祈禱した真言律宗の寺。
かつては広い敷地を持ち、病院施設もありました。
忍性は優れた土木技術を持った人々を抱えていたと考えられます。
1259(正元元)年、第2代執権北条義時の三男北条重時が創建し、
後に忍性が開山として迎えられました。
その後、順次伽藍の整備・拡充が行われたようである。
最盛期の極楽寺の様子が描かれた極楽寺伽藍古図によると、
七堂伽藍を取り囲むように多くの支院が谷戸全体に展開している様子がわかります。
1333(元弘3)年の建武中興に際して後醍醐天皇の勅願所となりました。
室町時代になってからも鎌倉公方の保護を受けてきましたが、
1425(応永32)年の火災や
1433(永享5)年の地震のためにほとんどが崩れ落ちて衰微し、
今では後に再建された山門や本堂が残っているだけになりましたが、
寺の用地は現在の稲村ヶ崎小学校に及んでいます。
忍性は西大寺の叡尊について戒律を学び、
常施院を開き、悲田院を再興して病者、貧民を救済しました。
鎌倉では、施薬院を建てて困っている人々を救ったり、
桑ガ谷に患者のための療病院を造ったりしました。
今でも極楽寺の境内に、
病気にかかった人たちの薬を作ったといわれる石の薬鉢が置いてあります。
一方、土木工事にも力を尽くし、
道路改修や橋梁架設などを行いました。
鎌倉から京都方面へ向かう交通上また防衛上の要地、
極楽寺坂切通を造ったのも忍性だといわれます。
寺域の奥には忍性と三代長老順忍の墓塔である五輪塔があります。
忍性塔は中世鎌倉最大級の五輪塔で、
毎年4月8日の花祭りに公開されています。
【霊鷲山 感應院極楽律寺】
国指定史跡
国指定重要文化財(建造物)
鎌倉三十三観音第22番
鎌倉二十四地蔵第20・21番。
極楽寺<外部リンク>(googleマップを開く<外部リンク>)
《主な年間行事》
・仏生会
・北条重時墓前祭