めいげついん
【日本遺産022】
開基/上杉憲方 開山/密室守厳
山ノ内の浄智寺の向かいの谷を
明月谷といいます。
明月院はその地で、いまは廃寺となっている
禅興寺の塔頭(※1)として成立しました。
あじさい寺として有名で
境内を埋める数千本のあじさいは明月院ブルーとも言われ、
シーズンには多くの人で賑わいます。
1159(平治元)年、平治の乱で戦死した
首藤(山ノ内)俊通の供養として
息子の經俊が明月庵を建てたのがはじまりです。
約百年後の1256(康元元)年、
第5代執権北条時頼が出家のために
最明寺を建立。
最明寺は時頼没後に廃絶しましたが、
その息子で第8代執権の時宗が
最明寺跡に禅興寺を創建しました。
そして1380(康暦2・天授6)年、
鎌倉公方(※2)の足利氏満から
禅興寺中興の命を受けた
関東管領・上杉憲方が寺院を拡大し、
塔頭も建てました。
この時、明月庵は明月院と改められました。
禅興寺は一時期、
関東十刹の一位にまでなりましたが、
明治初年に廃寺となり、
筆頭の支院だった明月院だけが残りました。
境内には鎌倉最大のやぐらといわれる
「明月院やぐら」があります。
このやぐらは、上杉憲方の墓と伝わり、
壁面に釈迦如来 、多宝如来と思われる像が
浮き彫りされています。
基壇上部には十六羅漢と思われる
浮き彫りも施されていることから
「羅漢洞」とも呼ばれています。
本堂奥の裏手に広がる庭園は通常非公開ですが
ハナショウブ開花期と
紅葉期のみ公開されます。
※1 禅宗寺院の敷地内にある小寺院や別坊
※2 鎌倉府の長官として関東を支配した足利氏の称
【臨済宗建長寺派 福源山 明月院】
木造上杉重房坐像:国重要文化財
境内:国指定史跡