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三善 康信


 みよし   やすのぶ
三善 康信​ (1140​~1221​年) 

 

三善康信 

 

京都の下級文人貴族・三善氏の生まれで、源頼朝挙兵以前は京都でキャリアを積みました。叔母が頼朝の乳母であった縁から、流人時代の頼朝に、頻繁に使者を送り京都の情勢を伝えていました。以仁王(もちひとおう)の敗走と源氏追討の命令が出ていることを頼朝に伝えたのも康信で、奥州に逃げるよう助言しています。鎌倉に下向してからは、頼朝のもと、京都でのキャリアを生かし、文書作成などの実務や寺社関係の職務に携わります。さらに訴訟機関の問注所が設置されると、初代の執事(長官)に就任し、鎌倉幕府の組織の整備に貢献しました。承久の乱が起こると、京都へ進撃することを提案した大江広元を後押しし、勝利に貢献しました。

 

ゆかりの地

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

鎌倉市雪ノ下3丁目

 

 

 

 

▼そのほかの重臣たち
北条 義時
北条義時

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安達 盛長
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八田 知家
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二階堂 行政​
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