ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

大江 広元


おおえの   ひろもと
大江 広元​ (1148​~1225年) 

 

大江 広元 

 

儒学を専門とする京都の下級貴族・中原広季の養子で、実父は大江維光とされています。京都で朝廷の実務官人としてキャリアを重ねていましたが、源頼朝が挙兵すると、兄弟の中原親能の縁もあって、鎌倉に下向します。戦地には赴かず、京都との交渉や鎌倉幕府の整備に活躍し、政務処理を行う公文所や政所(まんどころ)が設置されると、その別当(長官)となりました。頼朝の死後、源頼家にも側近として仕えますが、有力御家人らの対立からは一線を引く立場をとりました。続く源実朝の代になると、北条氏との協調関係を保ち、鎌倉殿の政治を補佐するとともに、和歌などの文化的な活動も支えました。承久の乱では、京都への進撃を強く主張し、幕府方の勝利に貢献しました。

 

ゆかりの地

 

法華堂跡(北条義時墓)
北条義時墓

鎌倉市西御門2-757

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

​​鎌倉市雪ノ下3丁目​

 

 

 

 

▼そのほかの重臣たち

北条 義時
北条義時

北条 時政​
北条時政
安達 盛長
安達盛長
梶原 景時​
梶原景時

比企 能員
比企

三浦 義澄​
三浦義澄

和田 義盛
和田義盛

足立 遠元​
足立遠元

八田 知家
八田知家

中原 親能
中原親能

三善 康信​
三善康信
二階堂 行政​
二階堂行政

 

 

 

 

 

>>トップページへ戻る<<