儒学を専門とする京都の下級貴族・中原広季の養子で、実父は大江維光とされています。京都で朝廷の実務官人としてキャリアを重ねていましたが、源頼朝が挙兵すると、兄弟の中原親能の縁もあって、鎌倉に下向します。戦地には赴かず、京都との交渉や鎌倉幕府の整備に活躍し、政務処理を行う公文所や政所(まんどころ)が設置されると、その別当(長官)となりました。頼朝の死後、源頼家にも側近として仕えますが、有力御家人らの対立からは一線を引く立場をとりました。続く源実朝の代になると、北条氏との協調関係を保ち、鎌倉殿の政治を補佐するとともに、和歌などの文化的な活動も支えました。承久の乱では、京都への進撃を強く主張し、幕府方の勝利に貢献しました。
法華堂跡(北条義時墓)
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大倉幕府跡
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北条 時政 |
安達 盛長 |
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梶原 景時 |
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足立 遠元 |
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三善 康信 |
二階堂 行政 |