二階堂氏は東海地方を中心に発展した工藤氏の分流です。外観が二階建ての堂にみえることから二階堂と呼ばれる堂が建つ永福寺の近くに邸宅を構えていたことから、二階堂氏を名乗りました。今も史跡永福寺跡の辺りには、二階堂という町名が残っています。行政と源頼朝は母方を同じ熱田大宮司家とし、その縁で頼朝が行政に声をかけ、鎌倉に下向したと考えられます。鎌倉に下る以前は京都でキャリアを積んでおり、その経験から、鎌倉では公文所の設置や寺社の差配、幕府の財政などの業務に携わりました。政所が設置されると、長官の大江広元のもとで、実務能力を発揮していたと考えられます。頼朝の死後は、源頼家を支える13人に選ばれましたが、これを最後に『吾妻鏡』からは姿を消します。
大倉幕府跡
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永福寺跡
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北条 義時 |
安達 盛長 |
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梶原 景時 |
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足立 遠元 |
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中原 親能 |
三善 康信 |