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梶原 景時


かじわら   かげとき
梶原 景時​ (?​~1200​年) 

 

梶原景時 

 

鎌倉の梶原を本拠とした武士で、源頼朝が挙兵すると、頼朝と敵対する平家の勢力である大庭景親(おおばかげちか)側につきますが、石橋山の合戦で頼朝の危機を救い、以来頼朝の信頼を得て活躍します。平家追討の際には源義経のもとで侍大将として出陣し、朝廷との連絡・調整役もつとめました。京都の貴族・徳大寺家に仕えていた経験から文化的な素養も高く、京都の貴族社会の人々とも交流があり、歌道や音曲(おんぎょく)にも通じていました。しかし、頼朝の死後、源頼家に対して結城朝光(ゆうきともみつ)が異心を抱いていると讒言したことなどにより、御家人らの弾劾で失脚し、翌年戦死しました。

 

ゆかりの地

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

鎌倉市雪ノ下3丁目

 

御霊神社
御霊神社

鎌倉市坂ノ下4-9

 

建長寺
建長寺

鎌倉市山ノ内8

 

御霊神社(梶原)
御霊神社

鎌倉市梶原1-12-27​​

 

 

 

 

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北条 義時
北条義時
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北条時政

安達 盛長
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和田 義盛
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